−平成15年12月− 小椋正吾の石蔵復元
(平塚 俊夫)
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小椋正吾の石蔵型こけし |
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小椋正吾が亡くなって丸11年が経過、石蔵型復活者としての同工人の作をこの機会に再評価してみたい。
正吾は昭和九年四月二十日、木地業正治の三男として生を受ける。大叔父に久四郎・石蔵を持つ家系にあり、小学校時代から父に木地の手解きを受けたと云う。こけしの製作は昭和四八年、三九歳からと遅咲きであった。父正治型・石蔵型、叔父久太郎の許しを得て同型の製作を開始し、そのレパートリーを拡げた。
正吾の没後、阿部平四郎一家や三春文雄が石蔵に取り組んでいるが、今回は石蔵型復活者として精力的に取り組み、多くの佳作を生んだと思われる昭和五八年作を中心に取り上げた。
石蔵の作品はグロテスク(醜悪と云う事ではなく、調和の崩れる寸前か崩れた直後とも云うぺき破調の美)且つエキセントリックな体質を持つこけしであり、ややもすると姿形に拘泥され、復元の本質に迫る事が出来ぬ物が多い中、後掲する同工人作品は見事な出来であった。石蔵の毒気に害されず、忠実克明に再現して中、何のと衒いもなく、自分の物に迄止揚され新たな美を構築した。
掲載の作品は何れも昭和五八年・五九年作で、石井真之介氏の石蔵発掘当時の作を思わせる。団扇を持つ物、黒い襟や帯が強調された物、石蔵が空所恐怖症であったかのような全体を竹で埋めた物は、シニャックの点描を彷彿させる。何れも石蔵作に比べ、健康的な優美さを感じさせる。早世が惜しまれる。
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